一票の格差

7月に参院選があると言うことで、最近は家の近くでも各党の政策宣伝カー(と言っても政策と言うよりも政党名や候補者の連呼ですが…)を目(耳)にすることが多くなりました。
そして、政策云々の前に、昨年の最高裁違憲とされた「一票の格差」の解消が参院選を行う前提であるということが新聞やテレビでの論調となっています。

私は、この法の下の平等という観点からの「一票の格差」是正論に以前からちょっと違和感を覚えていました。
つまり、
 0増5減とかの、小学生でも解るような算数的な是正方法が本当に平等なのか?
 選挙以外の全ての諸事項において、この平等と言われる算数的な方法が適用されているのか?
と言う疑問です。

しかしながら、政治や法律を専門に勉強したことの無い私にとってこれらの疑問を自身で解決することは難しく、この「一票の格差」の解消を前提とした論調をみるにつけ、何かもやもやとしたものが残っていました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130603/stt13060303090001-n1.htm

そんな中、「WiLL 5月号」に
 一票の格差があって何処が悪い! 深澤成壽
と言う論文を見つけ、興味深く読んでみました。

憲法一四条と立法府の良識

憲法一四条の条文の解釈が「一票の格差」が「憲法違反」であることの根拠となっていますが、果たしてこの判断が妥当なのか、もっと言えば立法府の(良識としての)判断と司法府により否定された事例が他にあるのか、と言う疑問があります。(私には解りませんが、深澤氏には「ほとんど知らない」ということです)。

例えば、所得税の累進性の問題があります。
恐らく、この累進制にはある種の政治的あるいは社会的な判断があって税率が一律ではない制度になっているのでしょうが、もし、今回の一票の格差違憲とする憲法一四条の算数的解釈が正当であるとすれば、この累進税は法の下の平等に反していることになります。
他にも、源泉徴収制度(サラリーマン)と申告制度(自営業)、勤務制度における女性への特別措置(生理休暇など)など、「法の下の平等」を今回の違憲判決を是として考えてみれば多くの事例を上げることが出来ます。

一方では算数的な解釈を行い、他方で政治的な判断(立法府の良識)を是とする事は、司法府の権限を逸脱しているように思えます。

深澤氏によれば、「憲法一四条は”法の下に平等”という一般則としての大枠を示したものであり、後は立法府の良心にゆだねるべき」と言う事になります。
もちろん全ての事項について画一的に施行されなければならないと言った頑迷な考え方に賛同するわけではありませんが、ことさら「一票の格差」についてはほとんどのメディアが是正を前提に議論を行っている(あるいは議論を誘導している)ことに、大きな違和感を持ってしまいます。

都市と地方の格差

現行の選挙制度では都市を基盤とする議員の数と地方を基盤とする議員の数の格差は、ますます大きくなっていきます。
そして、”全ての国会議員は自分の選挙区の住民の代表ではなく、全国の全国民の代表として国政を行う”ことが理想としてしか考えられないとすると、国政における都市と地方の格差は厳然として存在するでしょう。

ちなみに理想の選挙制度とされる全国区制は、選出されるであろう議員の資質を想像するまでもなく、理想以外の何者でもないことは言うまでもありません。

民主主義の基本が多数決であるとすれば、いくら多数は小数の意見を尊重すべしと唱えても、最終的には多数の意見が政策として決定されるでしょう。
「都市と地方の格差の解消」を唱える政党や政治家は多いのですが、「一票の格差」の前にはその方策は限定的となり根本的な解消策は望むべくも無いものでしょう。

そもそも現在の大都市とは明治以降、特に戦後から地方の若者が都市に流入・定着することによって形成されたもので、いわば地方の犠牲によって成り立っていると言えます。
このことを都市の住人はもう一度認識すべきで、地方(故郷)の再生は地方の住人によるものではなく、少なくとも現行の選挙制度の下では都市住人によってのみ成されうるものと考えるべきでしょう。

もう一点、国政に於いて現状の都市と地方の議員数の差ほど、都市における政策の数量や重要性があるのか(逆に言えば、地方に関わる政策が少ないのか)と言う疑問があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%80%9A%E5%B8%B8%E9%81%B8%E6%8C%99#.E9.81.B8.E6.8C.99.E5.8C.BA.E5.88.B6.EF.BC.88.E5.AE.9A.E6.95.B0146.E4.BA.BA.EF.BC.89
選挙区で見ると、東京は定数5ですが地方では定数が1人の選挙区が30以上もあります。
極端に言えば国政における政策の数量や重要度が、地方より東京の方が5倍もあるのかと言う事です。
もちろん、国会議員の中には”全国民の代表として国政を行う”議員も存在するでしょうから単純には言えませんが、政党(パーティー)は「郷党」と考えればあながち極端な考えとも言えないように思われます。
地方には都市とはまた別の国政としての行政課題があり、その重要度は何ら変わることは無いでしょう。
そう考えれば、国会議員数の都市への偏重は(少なくとも5倍というのは)不平等と言えるかもしれません。

司法府>立法府

法律や憲政についての素人が素人なりに考えると、どうも司法府の判断が絶対神聖なもののような風潮が立法府にも蔓延しているように思われます。
三権分立とは三者(立法・行政・司法)が互いに監視・牽制し、権力の暴走を防ぐ仕組みと理解していますが、この中で司法だけが実質的に国民の信任を得ていないという意味で異質です。
(行政における官僚機構の問題はありますが、少なくとも大臣は国会議員が就くことが多く、ある程度の国民の意思が反映されると考えられる)

この異質な司法の判断(15人の最高裁判事)が憲法の解釈を行い、それが絶対神聖なものとして立法府が従順しているのはいかにも危ういと思います。
あるいは、立法府が従順していると言うより、マスコミが司法府の判断が絶対神聖なものであると喧伝し立法府がそれに抗えない風潮を作っているといった方が正確かもしれません。

憲法の部分改正

本件に関して深澤氏は、憲法四十七条に関する部分改正を提案しています。
四十七条に、

国土の総合的な管理、発展に資するため、議員定数の配分については人口過疎そのたの特別な事情のある選挙区等については十分に配慮しなければならない

と言う内容を第二項として追加することです。

私はこの提案についての是非は判断出来ませんが、少なくとも現状の風潮に違和感を覚えている者としては、立法府がその良心に基づいて判断出来るような措置が必要と思います。



今回の違憲判決に際して、訴訟した弁護士グループや最高裁判事がどのような考えで訴訟や判決を行ったのかは知るすべもありませんが、憲法という国のあり方に関わる事柄において、どれほどの意志や覚悟をもって行動したのでしょう。
また、特に地方選出の国会議員は、司法の判断にどのような気持ちで従順しているのでしょう。
はたして、日本の社会全体を真剣に考えて行動しているのか疑問に思うことがあります。
WiLL (ウィル) 2013年 05月号 [雑誌]

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