日本柔道は「禊」が必要

7月31日の産経新聞には、上村春樹会長の全柔連辞任に関する記事が多く出ていました。
・2013/7/31 産経新聞 主張「全柔連会長辞任へ」
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130731/mrt13073103510001-n1.htm

この問題は、指導者助成金の不正受給やセクハラ・パワハラなど、世界に範を示すべき日本柔道にあっては夢想することすらあってはならない不祥事であることを考えると、単に会長の辞任(それも自分からではなく周囲の声に押された形での辞任)等という人の入れ替えだけで済む問題では無いと思います。
何しろ、他のスポーツと異なり、日本で生まれ礼を重んじ精神性の向上をその本質とする柔道なのですから。

ここはやはり、「禊」を行いきちんとした「けじめ」を内外に示すべきです。

私は、柔道とJUDOを明確に分離すべきだと考えますが、いま行うべき事は「けじめ」として2016年のオリンピック(リオデジャネイロ)を辞退することで、日本柔道が「禊」を行ったことを世界に示すことだと思います。

「禊」などは外国に理解されないかもしれませんが、これは日本人として「自分の過ちを正す」ことを示すことが重要なのです。

「オリンピックへの出場辞退」と言うと、「真面目に努力してきた選手達が可愛そう」といった情緒的な意見が出てきますが、現実問題としてその真面目に努力して金メダルを獲得した選手が不祥事を起こしているのです。
こういった不祥事が起こるのは、その選手や指導者が柔道の選手・指導者ではなくJUDOの選手・指導者だったからなのでしょう。
可愛そうな思いをした選手達は何故オリンピックへの出場を辞退しなければならないのかを考え、またその選手達が指導者になったときに後進の指導に必要なものが何かを考えることこそ必要なことだと思います。

1980年のモスクワオリンピックを日本はボイコットしました。
これは政治的な外的要因によるものでしたが、2016年のオリンピックを全柔連が辞退することは純粋に日本柔道の精神の問題であり、外国から’残念’と思われることはあっても非難されることは無いでしょう。
むしろ、何故日本が辞退するのか十分に説明することで、世界における日本柔道の評価が向上することも期待できます。
柔道は他のスポーツとは異なるものであるという、柔道本来の姿を再認識する機運が世界に広がるきっかけになるかも知れません。

全柔連の執行部の総辞職等という小手先の対処方法では、日本柔道界が陥っている本来あるべき精神性の欠如という無自覚な罠から脱することはできないでしょう。
それは、今回のような不祥事の再発防止に繋がらないばかりか、日本柔道が’柔の道’からかけ離れた単なるスポーツになってしまうことを助長することになってしまうでしょう。