婚外子判決 〜失うものの大きさ〜

このところ日本の最高裁の判決には、日本の伝統や慣習を全く考慮に入れないものが多く、単に諸外国の事例に合わせるとか個人の権利という観点のみ重視しているものが見受けられるように思われます。

今回の婚外子訴訟の判決内容を見ても、
産経新聞 2013.9.5 11:10 婚外子訴訟 最高裁決定要旨
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130905/trl13090513580004-n1.htm

  • …婚姻や家族の形態が著しく多様化し、…
  • …諸外国では1960年代後半以降、婚外子と嫡出子の差別が撤廃された。…
  • …家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきたことは明らかだ。…
  • …父母が婚姻関係になかったという、子自らが選択や修正する余地のない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、…

と言った根拠が述べられています。
色々エグゼキューズはあるのでしょうが、結果的にこの判決は法律婚の軽視と受け止められても仕方がないでしょう。

まず「婚姻や家族の形態が著しく多様化」していることを是としていることに違和感を覚えます。
私は国家と言う共同体の基本となるべき家族意識が希薄化している現状は、様々な弊害(いじめの問題など)を引き起こしていると認識していますが、このことを弊害と考えずに単に個人主義的な思考から判決を行うことは、家庭のみならずひいては国家そのものの弱体化に繋がるものと考えます。

諸外国の婚外子の状況は、
・各国の婚外子の割合 2013.9.5産経新聞から
 (2011年 出生数における婚外子の割合)
 フランス…約56%
 ノルウェー…約55%
 英国…約47%
 米国…約41%
 ドイツ…約34%
 イタリア…約23%
 日本…約2.2%
だそうです。
私はこの数字を見て、何かの間違いではないかと思いました。
日本の2.2%でも多いと思うのですが(1,000人の赤ちゃんの内、2人以上が婚外子です!)、欧米の割合は想像の域を超えています。
日本人であれば誰でも異常と思える諸外国の状況から「婚外子と嫡出子の差別が撤廃された」と肯定的な認識をしている裁判官は、一体どのような思考回路の持ち主なのでしょうか。

子供は家族があっての存在です。
家族から離れた子供の「個人の尊重」というものが、どのようなものなのか私には理解できません。

そして、「父母が婚姻関係になかったという、子自らが選択や修正する余地のない事柄を理由に…」に至っては、朝鮮学校無償化等の問題に通じるある種の思想が見え隠れします。

産経新聞 2013.9.4 「『2分の1』の自分取り戻した」婚外子女性
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130904/trl13090422480005-n1.htm
 婚外子のコメント…「子供はどんな状況で生まれても平等だということを、知ってもらいたい。今日が第一歩だ」
 嫡出子のコメント…「日本の家族形態や社会状況を理解せず、国民の意識とかけ離れている」
現行の法律に区別がるとすれば、それは「婚外子をもうけることは良くないこと」という日本のあたりまえの慣習を反映したものであって、決して差別ではないと思います。

それと、うまく言えないのですが、婚外子の方に(例えば就職や結婚などで)著しい不利益があるとすればそれは是正すべきと思いますが、今回のようなお金の絡むことで”権利”とか”平等”とかを盾に裁判に訴えるのは、私は”みっともない”ことと感じました(あくまで婚外子のような家族形態に関わるような場合です)。
この”みっともない”ことで勝訴したことで得られるものと失うものを考えると、その方個人としても日本の社会全体としても、私には目に見えない失うものの方が大きいように思えてなりません。